小説のススメ

心身が為に

私は本を読むことをススメます。音楽を聞くことをススメます。
しかし本は(昔の)小説に限ります。音楽はヴォーカルが無いものに限ります。
萌えアニメや激しい音楽ばかりではバカになってしまう。

炭酸飲料やアルコールはそこそこに。麻薬なんてもっての外。ゆっくり紅茶を楽しみましょう。 そんな話。

純文学とクラシック

あくまで小生の体感だが、(昔の)小説を読むと自然と頭が良くなる。純文学と呼ばれるものを読むと 頭が勝手に働くようになる。 1つの出来事や会話に於いて、色々な理屈や疑問が自然と湧いてくるようになる。

それはおそらく「本は行間を読むもの」と言われる所以と同じだろう。 昔の小説というのは、兎に角余分な文章を徹底的に削るのが良しとされていた。(俳句と通ずる部分がある) しかも短編が多く、著者が表したいものが凝縮されていた。
さらに純文学と呼ばれるものは、作者が見せたいテーマがはっきりしないものが多い。 正確に言うと『はっきり書き表せない物』だ。小生は小説というものは『言葉にできない言葉,色,光』 をなんとか他人に伝えよう、もしかしたら少しは伝わるのではないか、と苦心した跡形だと思っている。
ただでさえハッキリしないものを徹底的に切り詰めたものが小説ならば 、読む方は凝縮され削り磨かれたその文章を、ただ眺めて読むだけでは 著者が頭のなかに思い描いた光は見えない。読み手が「どうしてここまで削ったのだろうか。 どんな気持ちで磨いたのだろうか。なぜ淀みをココに残したのだろうか」などと想像しながら光を求めるしかない。


「本は行間を読むもの」
そう、小説は読み手が行間を覗きに行かな得れば楽しめない。 脳が働かなければ楽しめないものだ。
「純文学を楽しむがそこまで考えてないぞ」という人もいるだろう。 安心して良い。純文学を楽しめている時点で、意識しなくても脳は勝手にその作業を行なっている。 脳があなたに光を見せようと、一生懸命に働いている。脳が見せる光は著者が見た光とは別かもしれない。 しかし脳はしっかり働いている。 脳は様々な能力を身につけ感度を増し、頭は勝手に良くなる。
(働いている証拠は詳しく説明すると長くなるから書かないが、 映画シナリオには一般人がまず意識しないであろうアイディアや工夫が盛り込まれており、 存分に盛り込まれている映画は少なくとも佳作と呼ばれるぐらいにはなる。)


音楽にも同じ事が言える。 派手な曲は脳に直接刺激をあたえる。ヴォーカル曲は 示したいテーマを直接言葉にして脳に送り込む。 耳という受信機さえあれば、誰にでもほぼ同じように刺激が伝わる。(その刺激のタイプによって人それぞれ曲の好き嫌いがあるが)
一方、ヴォーカルがない曲やGM、クラシックにいたっては、脳で直接受け取れるのは雰囲気やイメージだけ。 特に情報量の少ないクラシックの独奏にいたっては、一音一音を追って、音と音との間を垣間見ることによって、 微妙にしか伝わらない信号から、イメージ,情景,ストーリーを脳自ら創りださなければ楽しめない
したがって脳は勝手に音情報の受信能力からはじまりイメージやストーリー構築をする能力まで 身に着けていく。頭が良くなる。


小生は数年間のひきこもりのあいだに、かなりの時間を音楽を聞くことに費やした。 音楽をかけながら何かをするのではない。ただ音楽を聞くことに費やした。 そして最後まであきなかったのがクラシックだ。
おそらく同系列の趣味の中で、より刺激の弱いもの、快感に至るまで遠いもの、飽きがこないものが 頭の働きを良くする趣味なのではないかと思う。

浴びせられる娯楽

純文学は、伝わりにくいけどなんとか伝えたいものを (今まで自分の本を読んでくれた連中ならなんとなくでも理解してくれるかも・・・) という祈りを載せて書いたものだと思う。著者のエゴを読者が飲むのである。 著者は読者にエゴを飲ませようと、読者はなんとか飲み下そうと苦心する、 著者と読者の共同作業である。

対して、今の小説やアニメはテーマがはっきりしている。 そのテーマとは『いかに読者を楽しませるか』という客商売である。 著者はいかに読者の気持ちいい部分をくすぐり続けるかに苦心し、 読者はより気持ちよさが濃縮されているエキスに群がるのみである。



具体的に書いていく。
SFであれば、兎に角アイディアを詰め込み展開を早くする。 冒険物の定番テクニックである「次はどうなるんだろう」という 欲望でグイグイ引っ張る。
展開が早ければ早いほど「次の展開早よ!」 というストレスはなくなり「こうなったのか!」という解を 得て快感を感じ「次はどうなる?」という欲求が再び起こる。 (例:コードギアス)

もっと酷いものになると、 どんなストーリーでもアイディアさえ必要なくウケる物をつかう。
キャラクターの色を強くアピールするシーンである。 これも古来からあるテクニックで、 現実世界ではまず行わないであろうキャラクター色の濃い 発言・行動を本題とは無関係に 挟み込む。
途中まで本を呼んでいる読者は、 キャラクターに愛着が出てきているからニヤニヤしながら読むという寸法だ。 一種の内輪ネタに近い。
さらに近年見られるものでもっとも酷いのがキャラクター同士の掛け合いだ。
本題とは全く関係ないキャラクター同士のキャラクター色の濃い じゃれあいが永遠と続く。小説やアニメをキャラクター有りきで見る人の 快楽を刺激し続ける。ライトノベルなどは頁の半分以上がこの「かけあい」で できている。読者は只管、キャラクター色の強い内輪ネタに快楽を感じる事の代償に、脳を融解しつづける。 (例:あかほりさとるの本)

近年、最も凶悪な破壊者が登場した。 文化と脳の破壊者である。
『萌え』 一点突破で脳を破壊する悪魔だ。

キャラクターの掛け合いにしたって 『わかりやすく面白いキャラクターを認識させる』という前準備が必要なのだが、 こと『萌え』に関しては何もいらない。 ラノベならただ可愛い挿絵があればいい。アニメならただカワイイキャラがいればいい。
更に『萌え』は『キャラクター』と連携することによって爆発的な堪能をいとも簡単にもたらす。 露骨な『萌え』キャラクタナイズによって色濃い『萌え』が生み出されるわけだ。 そしてヲタク共はただ『萌え』のみに己の精神と財布を任せて、脳を溶かし『萌え』増殖の為の 資金調達をする。


矢張り音楽にも同じ事が言える。
近年はユーロビートや連弾と呼ばれる激しい曲がこのまれる。 メロディーの裏の隠し味や目をつぶって効いた時に瞼の裏に映し出される光景よりも、ただ激しい信号 からもたらされる脳への刺激を求める。
しかし音楽でも『萌え』がキングオブキングスだ。 メロディーや表現性などなんのその、激しい曲でもゆったりの曲でも関係なし。 ただ只管声優さんの甘ったるい声かキャピキャピ元気の良い声(すなわちキャラクター色が濃い声) を聞かせればヲタクどもは群がり脳を溶かしつつ快感に震え、 あまつさえ各所で名曲神曲と騒ぎ(ニコニコ動画など)理論付けまで始める。
まさに声優が神格化され歌姫と化し、その歌声によりコンサートに大量動員し全面肯定させる。
あくまでヲタク限定であるが。

萌えドラッグ

わかってほしいのは、何もラノベやアニソンが全て脳を溶かすと言っているわけではないのだ。
ラノベでは見かけたことはないが、アニソンでは良く練られたものもある。 ただより直接的な刺激、反応的な満足は脳に良くないと言っているのである。

豆腐や蕎麦など味がうすいものばかり食べていれば舌は敏感になり肥えが、 ケミカルジュースや辛ラーメンばかりを食っては舌がバカになる。
紅茶は香りに酔いしれてこそのものだが、 アルコールは飲めば自然と酔っ払い、ドラックにいたっては打った瞬間から快楽を得られる。

小説は紅茶のようなものであり、SFアニメはアルコール、萌えはドラックである。
紅茶は飲む人により時により、なにか懐かしさを感じたり穏やかな陽光を感じたり 夏の夜のむせた風を感じたりもするものだが、 しかしアルコールは誰が何時飲んでも酔っ払うのだ。ドラックは酔う合間さえないのだ。 結果がわかっているので驚きも不安もない。ただ快楽を得る。

アルコールは体を壊しドラックは人間を壊す。 エンターテイメントは精神を朦朧とさせ萌えは脳を溶かす。
同士諸君には純文学とクラシックを進めたい。

おまけ GMについて

小生はヴォーカルなしのゲームミュージック(GM)をよく聞く。 クラシック並とは言わないものの、 聞いているものに作曲者が見せたい情景を想像するための 工夫がいたるところに仕掛けられているものが多い。

しかし残念ながら古来の曲のほうが近年の曲より想像を脇立てる力ははるかに強い。
それはおそらく、昔は音源が限られていたのが原因なのだろう。
音源が限られているので思い通りの曲が流せなかった。 そこで作曲者は使える音源の中でよりイメージを引き出すのに効果的な音を探って曲を作っていったのではないかと思う。
またその作業も音源が限られてるがゆえに手間も限られていたのだろう。
そうやって出来上がった曲は、聞いている人間の想像力ありきの曲である。

すべての音源を使えるならば作曲者たちは、自分のイメージ通りの完璧な曲を作るために微細な部分の調整に苦心しただろう。 しかし限られた音源では完璧なイメージを伝えることは難しく、それよりも より自分のイメージに近い想像を引き出すために苦心したと思う。

よって昔のGMの1音は今の曲の一音より意味合いも大きく、作曲者は慎重に配置した。 昔のGMを楽しむためには、脳は慎重に配置された一音一音をじっくり観察し、自分なりに理解し快楽に変換しなければ成らなかった。
知の決勝は古来の人々が沢山残してくれました。 我々は遠慮なく十分に享受したいものです。



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